シルクロード植林ボランティアへの参加から
〜中国内陸部の環境問題への取り組み〜

                                                                              梅村 松秀

                                                                          NEW 中国の植林ボランティア参加を通して、環境問題を考える

☆お願い:本文および写真は個人の所有物です。ご本人の許可無くコピー転載はご遠慮ください。

<レポート 1>

2006年11月5日から14日にかけて、NPO法人2050によるシルクロード植林ツアーに参加をしてきました。NPO法人2050を主宰される北谷さんは元国連上級職員、人口、貧困、女性をテーマとした国際的取り組みをしているNGOで、90年代初めERICグローバルセミナーにパネリストとしておいでいただいたことを契機に私も会員になりました。昨年はラオスにおける地雷処理活動にあたる国際NGOへの聞き取りなどユニークなスタディー・ツアーを実施されていることで知られます。

ツリーニュース第4号にこの3月、陝西省での植林活動に関する簡単な報告を掲載させていただきましたが、これまで中国内陸部での植林ボランティアに参加を重ねるなか、一筋縄ではいかないこの国の環境問題への取り組みを認識する一方、PLTカリキュラムの普及をボランティア活動として組み込む可能性を探っています。北谷さんも中国内陸部における環境教育の重要性について認識しており、現地2050代表である西安建築科技大学の孫先生への働きかけを進めることを始め教育機関との折衝など実現に向けての取り組みが始まろうとしています。

ついては当該地域の環境あるいは環境教育の状況等について理解する手がかりとして、甘粛省や陝西省周辺を主たる対象として、砂漠化防止策と貧困対策の一環としての植林活動を中心とした環境問題とその取り組み、日本のODAや国際的支援活動、そして環境教育の課題など、以下、数回にわたって現地での植林活動への参加体験を記す中で整理してみたいと思います。

第1回目は、植林活動の対象地域についての概要です。
1.植林活動の対象地域の概要
 2050による植林活動は、これまで陝西省の省都西安北部の咸陽周辺を主な対象地域としてきましたが、今年から甘粛省の蘭州周辺が新たな対象地域に加えられました。簡単に二つの省の地理的な位置を記してみます。甘粛省といっても多くの方にとってイメージしにくいかと思いますが、人工衛星の打ち上げ基地がこの省にあります。省都蘭州の位置をひと言で言い表すとすれば、中国の東西方向のほぼ中央に位置します。中国の二つの大河、長江と黄河との関連でみるなら、蘭州は黄河の流域沿い、青海省の高原に発した黄河が東流して甘粛省に入りこの町の東で向きを北に変えるあたりに位置します。

黄河はこのあたりで東西方向の谷あいをつくり市街地は谷あいに沿って20キロ以上にわたってつづきます。町の中心部にかかる黄河第一橋より少し下流側の右岸沿いに水車公園という広大な施設があります。かつて日本の各地に見られた水車とは比べものにならない直径20mぐらいのものが20基あまり復元されることになっています。この流域における水車の起源についてはまだよくわかっていないようですが、黄河の水を20mあまり揚水することで大地の人々の暮らしが成り立っていた時代を思い起こさせます。GPSでこの付近の位置を測ってみると、東経103度、北緯36度。緯度の上では東京とほぼ同じ、兵庫県明石との経度差が30度近くですから時差にすると2時間(実際は北京時間を採用していますから1時間)の位置にあります。町の海抜高度は1500m、今回、植林活動の舞台となった蘭州北部の永晶県の植林地は1900m前後でした。

一方、陝西省の省都、西安は歴史学習で唐の長安として記憶されている人も多いかと思いますが、緯度の上では蘭州より2度ぐらい南。黄河との関係でみると、蘭州の東で向きを変えた黄河は黄土高原を北から南へとおおきく周りこむようにして、黄河第一の支流謂水をあわせ、これより東流し華北平原をへて渤海湾に注ぐのですが、西安は先の謂水流域の南岸に発達した城郭
都市で海抜380m前後、かの有名な兵馬俑の遺跡はこの西安から高速で東に1時間あまりの位置にあります。甘粛省の面積は約45万平方キロは日本を大きく上回り、スウェーデンぐらいの広さにあたります。
人口は2600万人、2004年一人当たりGDP5970元(約89000円)で上海市の55307元の1/9ぐらい。
陝西省は約20万平方キロで人口3700万人、一人当たりGDP7757元です。

甘粛省の位置 出典『中学地理学習地図』(湖南地図出版社2002)

中国降水量分布  出典『中学地理学習地図』(湖南地図出版社2002)

植林会場

 

<レポート 2>

ここ数年NPO法人「2050」が主催するシルクロード植林活動に参加してきました。
2006年11月、それまでの陝西省西安周辺からさらに内陸部、甘粛省蘭州郊外へと植林活動の療育が拡大する中で、この国の環境問題への取り組みの緊急性を一層実感することになりました。先月は甘粛省と蘭州周辺の地理的状況について記しましたが、今回は甘粛省における開発と環境のかかわりについて、中国大使館による資料と人民日報など報道記事、そして現地観察の記録などをもとに記してみます。
甘粛省における植林活動を考える場合、自然とその開発状況について見ておかなくてはなりません。

中国大使館のサイトに省別のさまざまなデータが示されていますが、甘粛省の自然概況について記した部分を
引用してみます。
          **************************
「甘粛省内の耕地面積は353万ヘクタール、森林面積は426万ヘクタール、草原面積は1664万ヘクタール。そのほか農地に適した荒地が100万ヘクタール、林に適した荒地が666万ヘクタール、牧草地に適した山地が467万ヘクタールある。すでに発見されている各種鉱は3000カ所に上り、埋蔵量が探査済みの鉱物資源は94種類で、全国1の埋蔵量を誇る鉱物が10種類ある。…」
甘粛省の広さは日本より20%ぐらい大きい約45万平方kmです。そして森林についてみますと日本は総面積の67%が森林といわれますが、中国は17%、甘粛省のそれは平均をさらに下回った10%弱であります。

機上から見下ろした時の大地は想像がつくかと思いますが、地上を車や鉄道で移動する際に見える山の景観は日本のどことも比較することが難しいでしょう。あえてたとえれば東京周辺でバブル時に宅地開発され、中断してそのまま残っているところがありますが、それを大規模にしたのが甘粛省の山々といえるかもしれません。
甘粛省は鉱産物資源に恵まれることが先の記述にありました。のちにまた記すことになりますが省都蘭州は黄河の谷あいに細長く盆地状に広がった街ですが、町に近づくにつれ空気が匂ってきます。冬の空気の澄みきった時期でも、蘭州の中心街は日の出から日没まで大気はかすんでいます。においと大気中の不純物によるかすみようは西安よりひどいように思われました。

甘粛省の鉱工業についての紹介を引用してみます。
「甘粛省では幹線鉄道に沿って、蘭州、天水、白銀、金昌、嘉峪関市を中軸に、金川非鉄金属公司、白銀非鉄金属公司、蘭州精油化工総工場、蘭州化学工業公司、蘭州石油化学工業機器総工場、劉家峡発電所、酒泉鋼鉄公司、永登セメント工場などの大型中堅企業が建設されている。…中国の重要なエネルギー原材料、石油化学工業機械・・・とくに非鉄金属生産量及び生産額は、全国2位を占めている…」 
ここの鉱工業を特徴づけるのは、コンピュータや携帯電話など電子機器部品に使われる希少金属生産の一大中心地であるということです。

以前、植林の後、天水市で昼食をとったことがありましたが、町中の道はどこもかしこも油まみれといった感じを受けました。こうした資源開発と輸送及び加工の過程が、甘粛省の自然環境に影響を与えているに違いないのです。ですから環境問題の存在についても「甘粛省は生態環境が悪く、水資源が非常に不足し、植物の分布が少なく、水度の流失が深刻である。毎年黄河に流れ込んでいる泥と砂は5億トンを超え、年間、黄河流域に流れる砂の量の1/3を占める。

有機質の物質が年に平均50kg流失し、そのうちチッソは3.5kg、リンは2kg…」と記されます。ただ、この記述のしかたは、生態環境の悪さをもともとのこととしているようにとれるのは思いすごしでしょうか。
水についても年降水量が300mm以下のところが大半ですから、省内の水資源は長江、黄河と内陸河川、そして地下水に頼らざるを得ません。
人民日報インターネット版は2006年5月26日付で、甘粛省東郷(トンシャン)族自治県における台湾のNGOによる水ガメ造りによる水不足への対応を報じていますが、少数民族居住区の水不足という事態は、気象変動によるものだけではない、人為的な要因がこの地域の井戸枯れに働いているように思うのです。(写真1)スモッグにかすむ蘭州市街地、手前は黄河第一橋(ただし現在はこれより上流にも架橋あり)   (写真2)植林地の様子
甘粛省の黄河流域の汚染について人民日報インターネット版(2006年4月7日付)は、「甘粛省環境保護部門の調査によると…黄河流域では下水排水量が年間23700万トンに上り、生活排水の処理率わわずか34%で大量の生活排水が未処理のまま黄河に垂れ流されている…」ことをうけて汚染対策に50億元投入するという方針が決定されたことを伝えています。

11月に私たちが出掛ける前に配信されたニュースは甘粛省の炭鉱でガス爆発があり、70数人による構内作業中、29人の死亡が確認されたことが伝えられました。残りの人たちの安否についての報道は目にしていません。
先に台湾のNGOの活動についての報道のことを記しましたが、実は私たちの植林活動についても、CCTVが全国放送で取り上げたとのことでした。

私たちの植林ボランティアについては3社の報道が確認されていますが、人民日報版での報道を引用しておきましょう。
         **************************
「日本NPOが資金援助、サジーの植林基地建設 甘粛省」

貧困家庭の所得増加のために沙棘(サジー)の木を植林するプロジェクト、「中日友好幸福沙棘植林モデル基地」の建設がこのほど、甘粛省永登県で着工した。同基地の建設は日本の特定非営利活動法人(NPO)、NPO2050の資金援助によるもの。

同基地は、約2万ヘクタールの広さを、5年間をかけて段階的に完成させる計画で、現在第一次植林作業がすでに始まっている。すべての植林が完成すると、2015年には実をつけるようになり、毎年12万トンの果実が収穫できるということだ。 (編集YS) 「人民網日本語版」2006年11月10日

(写真1) スモッグにかすむ蘭州市街地

(写真2) 植林地の様子

<レポート 3>

NPO法人2050によるシルクロード植林ボランティアを重ねる中で、中国内陸部の陝西省、甘粛省における環境問題に関連したトピックをお届けします。報告は当初、陝西省、甘粛省蘭州における植林ボランティア報告で一段落するつもりでしたが、新たな植林地、蘭州を訪ねるたびに市街地のスモッグに辟易(例えばグーグルで衛星写真をご覧ください)、この地の環境問題にかんする報道をひもとくにつれ、いわれるところの成長に伴う影の部分への懸念が増すばかりです。
前回の報告と重なりますが、11月以降この2月にかけ蘭州市を東西に分かつ黄河の汚染に関するトピックとその背景について考えてみようと思います。

一つ目は石油化学会社による爆発事故に関すること。
この2月6日蘭州石化公司の合成ゴム工場で爆発事故、1名死亡、6名負傷が報じられました
(livedoorNews2/27/07)。この報道だけは単なる工場事故ですんでしまいがちですが、少しさかのぼってみると06年5月にも爆発事故で4人死亡、その時は事故に伴っての水質汚染が懸念され、市民の水の汲みおきがはじまったとのこと(中国情報局serchina)、翌6月28日にもガス管の爆発で一人の死亡が報じられています。(中国情報局serchina)。

二つ目は直接、蘭州市域での黄河に汚染が及んだいくつかのトピックです。
この1月25日、蘭州市を南北に分かつ黄河が数キロにわたって異臭と変色、汚染源として中国北車集団蘭州汽車廠が突き止められました。(1月27日新華社網) 
昨年12月7日の人民網は「蘭州造紙企業向黄河日排汚水2000噸…」と製紙会社による排水の垂れ流しを伝えました。(12/7新華網,蘭州晨報)その前月、11月22日、蘭州黄河域で赤い川に変色しました。汚染源は蘭州市第二暖房供熱センターによるもの(新唐人ニュース)で10月22日にも同様の現象が報じられました。

これらトピックに共通することは、直接または間接的に黄河を汚染し、それが企業によって常態化しているように見えることです。さらに爆発事故に伴う水汚染の危険を招いた蘭州石化公司というのは中国最大の石油企業、中国石油の関連会社であり、蘭州の施設は中国西北部において最大の施設とのこと(グーグル衛星写真では黄河が蘭州市街地に入るあたりの西端をご覧ください)。つぎに1月の黄河汚染源となった中国北車集団というのは、北京に本社をおく鉄道車両会社です。

最近開通した中国版新幹線の車両などのほか、イランにおける鉄道建設、ベトナム鉄道の機関車製造などに関わっていることがホームページに示されます。そして百美紙業は06年2月に国家環保総局の監察で「黒名録」(ブラックリスト?)に記された企業です。

もちろん蘭州における黄河の汚染に昔から関与してきたのが市民であります。蘭州における生活排水について次のような記述をみつけました。
「甘肅省環保局局長趙偉民介紹,作為河惟一穿城而過的省會城市,目前蘭州市水管網普及率隻有12.2%。較小水處理和收集能力遠不足以處理日益加的城市水,致使河沿岸排管、排溝密布,大量的生活水直接排入河」(河流域水染調:1.6億人民深受其害:王幼華:2005年06月28日:人民網)    一部日本語テキストで表現できない文字があります、ご了承ください。

このように見てくると、行政・企業ともに開発優先策が先行し、市民生活とそれを支える社会資本の整備が伴わないという、きわめて常識的なこたえが、蘭州にも当てはまるような気がします。それは沿岸地方との経済格差を解消する政策としての西部大開発スローガンのもと、一層際立って見えるのかもし得ません。荒蕪地の中に建設された高速道路網、最近話題の西蔵鉄道全通などのいっぽうで、私たちが植林作業をおこなった永登県は空港近くの宿舎から40kmぐらいのところにありながら、車で2時間もかかるという現実にそれを垣間見ることができます。

黄河の汚染問題に焦点を当ててきましたが、蘭州は都市の大気汚染に関する98年国連調査においてワースト10にランクされた人口300万の大都市です。2006年の状況分析(中国環境報1月5日)によれば、この町の大気環境は改善しているように見えず、当然人々への影響が気になりますが、陝西省に近い町での鉛汚染による人への影響が懸念されているという報道のほか、人々への健康被害等についての報道を見つけることができません。

先のような報道で、その汚染元が判明したなら、汚染源に対する責任追及がなされて当然のことと思うのですが、不思議なことにそれをフォローする記事を見つけることが極めて難しいことを実感しています。ここに例示したような大企業の場合はなおさらです。
胡錦涛総書記がこの旧暦正月に甘粛省を訪ね「甘粛省幹部と民衆を慰問」したという記事の一部を引用して締めくくりとしましょう。(人民日報2007年2月20日)“胡総書記は甘粛省気象局、蘭州市給水公司、中国石油蘭州石化
公司などを訪れ、祝日勤務の幹部と従業員を心を込めてねぎらった…”

黄河に流れ込む汚水、手前の水の色に注目(水車公園敷地内) 

蘭州の北、白銀市における工場施設の例

黄砂にかすむ高速道路(定西市への途上)

<レポート 4>

陝西省、甘粛省における植林ボランティアについて問いを受けることがあります。
問いかけの視点によって答え方が難しいのですが、そのような問いかけをされることで、あらためて考える機会となっています。

前回、甘粛省蘭州周辺における工業排水による黄河汚染、市街地の大気汚染について現地マスメディア情報と自らの体験を対応させる形で提示してみたのですが、ローカルな環境にたいする認識は、外部からの指摘によって気づかされるということがあります。陝西省での植林活動で地元メディアのインタビューに、私にとっての西安とは、唐の長安のイメージが根底にあると答えたことが、記事のまくらにおかれたのは、まさに意外な視点として捉えられたものだったように思います。 陝西省、甘粛省での私たちの植林ボランティアはまず当該地域の人々にとって、自分たちの環境に対する気づきを、同時に私自身のあらたな気づきにつながっているように思います。 この3月28日から4月2日にかけて日本列島への黄砂飛来が伝えられました。
徳島、神戸、福井では28日、
長野、東京では1日に記録されたとのこと。
韓国のソウルでは「今年すでに5日を記録」(聨合ニュース2007/04/01)とのこと。

中国、上海では「ここ6年で最も深刻な黄砂ノ寒気の影響を受けて、上海は2日、曇りで風が強く吹き、黄砂の舞う天候となり、視界はひどいところで2キロから3キロ、大部分の地区で6キロから7キロとなった」 (「人民網日本語版」2007年4月3日)
同日の北京では「今年すでに8回目」
日本でも観測された「3月30・31の両日に発生した黄砂は最も大きなもので、北方では計86万2千平方キロメートルの地域に被害が及んだノ」 (「人民網日本語版」2007年4月3日)
そして黄砂の発生源といわれる内陸部の内蒙古では「 内蒙古自治区の額済納旗(エジンキ)で28日午後、今春初の砂嵐が観測された。
黄砂は風力8級(風速約40メートル)の強風ととともに空に舞い上がり、視界は20メートルほどとなった」。
甘粛省蘭州では「27日、昼間は快晴だった。しかし午後8時40分、蘭州の空を突然黄砂が吹き荒れ空を覆い、あたり一面黄砂のにおいが立ち込めた。十数分後には空から降ってきた黄砂が町全体を覆った」と、人民日報は地元「蘭州晨報」の報道を伝えました。 ( 「人民網日本語版」 2007年3月28日)

2006年5月に放映されたBSドキュメンタリー「黄砂発生地帯・砂漠化とのたたかい〜中国河西回廊の村」は、黄砂の発生源周辺に暮らす人々の様子を伝えてくれました。甘粛省民勤県にある10世帯40人余りの制産村のある農家を事例として」いました。
民勤県の位置は、甘粛省地図(中国地図出版社2002)によれば、甘粛省と内蒙古自治区との境界付近、万里の長城がこの辺りで内蒙古地区にくびれこんだ南側に民勤県が示されます。
地図には深井坑、烏家井など「井」のつく地名が示され、それらいずれも乾燥地帯特有のオアシスなのでしょう。番組では舞台となった制産村をはじめ、民勤県いったいが砂漠化の脅威にさらされていることが描かれます。

私たちが黄砂とよぶ現象も、ここでは砂嵐の形をとります。いったん砂嵐が発生すると、子どもは行方不明になる危険から学校に行くこともできず、人々はじっと砂嵐のおさまるのを待ちます。砂嵐の後、人々の仕事は農地を覆った砂を取り除くことです。ヘディンの消えた湖ロプノール(甘粛省と新疆ウイグル自治区との境するあたり)のことはご存知の方も多いかと思いますが、かつてこの地区でも豊かな湖のあったことを古老たちは懐かしみます。いまや日常的な飲み水すら買い求めなくてはなりません。黄砂の頻発する春先はまた農作業の始まる時期でもあります。県政府は南の祁連(チーリエン)山脈からの雪解け水を引く水路を完成させましたが、農地に水を利用するには農家人口一人当たり280元支払わなくてはなりません。」(チーリエン)山脈からの雪解け水を引く水路を完成させましたが、農地に水を利用するには農家人口一人当たり280元支払わなくてはなりません。そして全農家の支払いが得られた段階で村の農地への水門があけられます。
モデルとなった農家は4人家族で1120元(約20000)の負担(この農家の年収の約半分とのこと)ができず、結局、一家の財産である羊を手放すことで水を引くことができました。せまりくる砂漠化に対して県政府は、家畜を夜間、野外に放牧することを禁ずるとともに、住民の移住を進める政策をとっています。

砂嵐が交通にも大きな障害をもたらします。
東京に黄砂が飛来した翌2日、甘粛省の玉門市では視界は100メートル以下となり小学校で午後の授業とりやめ、酒泉市では自動車の衝突事故で2人が死亡、7人けが。(中国情報局News 2007/04/03)
      >> 中国情報局 http://www.searchina.ne.jp/
さらにこの2月、新疆ウィグル自治区では列車転覆に関する報道、「烏魯木斉(ウルムチ )から阿克蘇(アクス)へ向っていた「5806便」が28日午前1時55分、吐魯番(トルファン)市を走行中に大規模な砂嵐に襲われ、11車両が暴風にあおられて転覆した。これまでに4人が死亡、2人が重傷、100人以上が軽傷を負った」(人民網日本語版2007年2月28日 転覆した車両の写真も見られます)と伝えられました。
       >> 人民網日本語版 http://www.people.ne.jp/

砂嵐による列車関連情報は、「ポッドキャスト」「You tube」のi-morleyまたはtibetoronica.comというサイトで、3月14日、おなじ新疆ウィグル地区で砂塵暴による9時間の列車遅延にあった様子が報じられています。

黄砂の原因についての論は、自然現象とみなす考え方が多いように見受けますが、国立環境研究所サイトでみつけた「砂塵あらしの増加と中国土地利用変化」(王勤学・大坪国順 2003)論考は、人為的な要因が関係していることを示す興味深い論文です。 これによると、発生源近くで見られる砂塵あらしは、「ほこりと細砂が風により吹き上げられたもので、寒気団が通過する際や、雷雨や突風現象と伴って起こり、中国北部では春季に現れやすい気象現象ノ強風により地面の大量のほこりや細砂が吹き上げられ、空気がにごる。
可視度が1km以下の場合、砂塵あらし、1〜10kmの場合黄砂」とのこと。

論者たちは1998年4月の中国北部のNASA衛星画像の解析、1950年代以降について中国北部7気象観測所におけるデータから日平均風速の年間最大値と年平均値の経年変化との関係の分析から、黄砂を異常気象としてとらえる(2000年における黄砂と砂塵あらしが頻繁に発生したことへの中国国家気候中心の見解)べきではなく、「人為的に植生を破壊したことが砂塵あらしの発生に深く関連する」ことの可能性と、内陸部の植生破壊が進行した背景として・過度の開墾 ・過放牧・森林破壊・野生植物の乱獲・水資源の乱用 ・あいまいな土地財産権などを指摘します。
「過度の開墾」「過放牧」については、1950年代以降の開発に伴ってのこととしてこれまでも指摘されてきたことです。

レスター・ブラウンは内蒙古自治区のシリンゴル県におけるアメリカ大使館員の報告を引用「1977年に200万頭だった同県の家畜数は2000年には1800万頭にまで増えているノ」して草原の喪失が深刻なることを指摘してます。 (World Watch Japan News)

漢方薬への関心がたかまっていますが、「野生植物の乱獲」とはこの漢方薬の材料や野生の野菜採取の増大が草原の破壊を招いているといいます。蘭州の中心部には、日本でも最近知られるようになった冬虫夏草を大書した商店をよく見かけます。漢方薬ブームは、草原の喪失に加担をしているらしいのです。

中国内陸部を移動していて気づくことの一つは、巨大な人工物としての潅漑施設です。「水資源の乱用」とはこの潅漑施設自体に問題のあることを指摘します。
「あいまいな土地財産権」のことは、つい数日前のこと、重慶の市街地再開発に伴って一軒だけ孤島のように取り残された家屋の写真とともに、この問題が指摘されていましたが、これから頻発することが予想される問題です。 黄砂の成因に以上のような人為的な要因が関わっているとするなら、人為的な対策が考えられます。それについて論者は、植生の保護と再生にあることを指摘します。

今回、なぜ植林ボランティアかという問いを最初におきましたが、私たちの植林活動が黄砂の飛来や砂漠化の進行を少しでも遅らせることにつながること、という常識的なこたえにたどりつきました。

蘭州の市街地は黄河によって東西方向に細長く刻まれた谷あいに沿って発達します。
グーグルアースでも周辺に比べて市街地の部分がぼんやりとしているのは、谷あいを被うようにひろがるスモッグのせいと思われます。この町に住む人々が坑道に持ち込まれたカナリアにならないためにも、私たち外部との関係性を発展させる必要があるのです。

植樹祭にあわせて西安での植林ボランティアに参加する人々

 植樹景観

 蘭州郊外、植林あとの山地斜面

 

<レポート 5>

2007年6月14日から、中国内 蒙古自治区における「FoE」主催 の15次緑化隊に参加してきました。行程は、内蒙古自治区通遼市域クリンキ鎮及びカンチカ鎮における3日 間の植林活動、そして遼寧省、瀋陽にもどり市内見学、環境省との交流活動という概要。 私はその後、瀋陽に残り、瀋陽の町並み、9/18事変(柳条湖事件)記念 館、撫順(フーシュン)の露天掘り炭鉱など、以前から気になっていたところを見て回ることができました。これまでの中国内陸部、甘粛省・陝西省における植林活動との対比のもと、内蒙古自治区、遼寧省周辺の砂漠化に関連しての話題を提示したいと思います。内容としては、大きく現地の概要と砂漠化への取り組みということになりますが、関連して遼寧省を中心とする経済活動と派生しての環境問題にも触れてみたいと思います。

今回は、現地砂漠化の概要を理解する上での遼寧省瀋陽から現地宿舎への道筋の景観を描写してみます。

 1. 瀋陽桃仙飛行場から内蒙古自治区東部のウルスンまでの道すがら 成田を1時間遅れで飛び立った中国南方航空628便が都心から30kmにあるという瀋陽桃仙空港に着いたのが夕方5時過ぎ、これまでの植林活動に常に関わってきたという通訳ジリムトさんに迎えられて、バスで約240kmあるという烏雲農場にむけて出発したのが17:30、以下、植林地の宿舎への道筋での車窓景観か ら砂漠への道を描写して見ます。

バスは進行方向の右側に瀋陽市街を遠望しながら、市街地の外側、環状高速道 路から市の西側にある工業地区の市内にいったん入った後、再び片側3車線はある道を内蒙古自治区のある西に向かいます。道の両側は地図に東北平原と記されるように見晴るかす畑地で稜線は目に入りません。作物はおそらく、とうもろこし、豆類、そして水田ところどころに見かけます。しばらくするうちにT字型の構造物が畑地の間にいくつか見えることに気づきました。よく注意してみると油井ポンプです。石油が出るとは知りませんでした。坦々たる道を1時間あまり、少しのぼり気味と感じたのは渤海湾に注ぐリャオ河を越える辺りでした。堤防の内側は、利根川など日本の川とは比較にならないほどの広大な河川敷がひろがり、かつ農地に利用されています。19:20頃、それまでの道幅が片側2車線になり両側のポプラ並木がまじかに見えるようになる頃、地平線 に陽が沈みました。空港をでてから2時間、まだ地平線が続きます。

19:45、ようやくゆるやかな起伏の稜線が目に入りました。日が沈んでも薄明かりの状態が続く中、丘陵地帯にはいりました、地図上では内蒙古自治区東部を南北に連なる大シンアンリン山脈の山ろく地帯に位置するあたりで、いよいよ内蒙古自治区に近づきました。道の状態が次第に悪くなり、内蒙古自治区との境界を なす小さな谷あいに入るころ、まったく舗装がなくなっていました。境界をなす谷あいの川筋は夜目にも水が流れていないことがわかります。内蒙古自治区に入ってまもなく小さな町に入り、遅い夕食をとるため食堂によりました。バスから降り、上を見ると満天の星。ほぼ天上に北斗七星、衛星らしき光の筋がすーっと見えました。携帯したGPSで人工衛星をさがすと、東京では5つの衛星を捉えるのにも苦労するのに、あっという間に9つもの衛星をとらえてしまいます。

食事後、さらなる悪路を2時間あまり、全身たっぷりと味わいながらウルスンの町にある烏雲農場の砂漠宿舎についたのが午前0時にならんとする頃。瀋 陽空港から240km、ほぼ5時間かけて、植林地にたどりつきました。出迎えてくれた沙漠植林ボランティア協会の会長菊地さん、そして「FoE」の成田さんの歓迎の挨拶。夜も遅いことから、とりあえず洗面、トイレの場所や使い方についての指示を受けて、寝床につくことになります。

日本からの所要時間よりも長いバスの旅の一日が終わりました。懐中電灯片手に、簡単な草囲いしただけの野外トイ
レでの時間はプラネタリウムの中にいるようなもの、風が 草囲いを揺らしていきます。(写真1.烏雲農場の砂漠宿舎)

 2. 内蒙古自治区と遼寧省瀋陽について 今回の植林地とその経路に当たる蒙古自治区と瀋陽について簡単に紹介しておきます。

内蒙古自治区は中国の行政区分(直轄市、省、自治区、特別行政区)において、三番目に広い110万平方キロ(日本の3
倍弱)で、北はロシア、モンゴルと国境を接します。私たちが訪れた地域は、東北3省の南、遼寧省に隣接するあたりになります。北京の郊外まで砂漠化が及んでいることが言われますが、最初に植林を行ったクリンキ鎮チョグチグー村の位置が、北緯42度56分、東経121度23分ですから、経度上では沖縄県西表島周辺に相当し、北京よりさらに東に砂漠化は進行しているという表現もできるかもしれません。(写真2.チョグチグー村での植林地への道筋、行程中利用した4輪駆動車でも往生することしばしば) 現地への通過拠点となった瀋陽は中国東北地方3省のうち、一番南側の遼寧省の省都です。

遼寧省の都市としては大連のほうが知られているかもしれませんが、ある年代の人たちにとって瀋陽は奉天というかつての地名のほうが馴染み深いかもしれません。1928年の張作霖爆殺事件、そして1931年9月18日の柳条湖事件といずれも満鉄に対する関東軍による自作自演といわれる事件をきっかけとして日中戦争にはいっていく舞台となった都市です。しばらく前の高校地理教科書には、中国の重工業地帯としてフーシュン炭田、アンシャン鉄山などが取り上げられていましたが、現在も瀋陽には関連しての自動車産業をふくむ 機械工業など工業地区が大きな役割を占めます。

瀋陽の区部人口は約490万人、私たちが泊まったホテルのショッピングモールには欧米の高級ブランド店。瀋陽駅に接してのホテル周辺は中街とならぶ二大繁華街。ウォルマート、カルフールなどスーパーが広大な店舗をかまえています。ホテルのクルマ寄せにはロールスロイスがとまっていました。建設中の地下鉄駅とむすばれる地下商店街にはディスコミュージックと若者であふれています。このホテルに私は4泊することになるのですが、ホテル前の通りには少なくとも4人の物乞いの姿を見ることになります。(写真3.ホテル近くの吉野家の店内) 瀋陽の歴史的建造物としては、日本植民地時代の建造物が見ものですが、瀋陽 故宮博物院、女真族の大王ヌルハチの陵墓、清朝初代皇帝ホンタイジの陵墓、軍閥張作霖の邸宅跡、そして先にも記した9/18歴史博物館などがあり、これについては撫順の戦犯管理所とともに、私たちに忘れることのできない施設と思われますので、改めて記したいと思います。次回、沙漠での植林活動についてしるすこととします。

写真1.烏雲農場の砂漠宿舎       

写真2.チョグチグー村での植林地への道筋

写真3.ホテル近くの吉野家の店内

 

<レポート 6>

前回に引続き、中国内蒙古自治区における 「FoE」主催 の15次緑化隊への参加レポートで、今回は現地における植林活動の具体的な作業を中心に報告します。

3. 内蒙古自治区ウルスンの烏雲農場
6月14日の深夜、私たちのバスは遼寧省の省都瀋陽から6時間弱の内蒙古自治区南東部ウルスン周辺での植林活動の拠点になる烏雲農場2に着きました。満天の星あかりのなか、植林指導を担当される成田さんの出迎えをうけ、10室ほどからなる宿泊棟利用に関する案内のあと、私と同様「FoE」の植林活動に初参加というUさんと同室。翌日は暑くならないうちに植林活動に出かけるとのアナウンスに落ち着かないまま床につき、うとうととしたと思うまもなく、薄いカーテンごしの陽射しで植林第一日を迎えました。

身支度のための洗面・トイレなどは宿泊棟の外。洗面は入り口脇に設置された3mほどのコンクリートの流し台と手漕ぎポンプによる井戸水を使います。利用後の井戸水は宿泊棟の前に設けられたぬるめをへて、新しく作られたという水田の用水にも利用されています。水田には20センチあまりに生長した稲が風にそよぎ、おたまじゃくしがたくさん泳ぎまわっています。(写真1)井戸水の得やすさと水田ができることは陝西省の西安北部の黄土高原や甘粛省の蘭州周辺との大きな違いのように思われます。

朝食の会場は、ゲルの形をイメージしたと思われるコンクリート製の円形の建物(写真2)で、研修室の役割も果たしています。食事のあいまに烏雲農場の主、菊池さん、そして「FoE」の成田さんによる植林に関する概況説明、そして8時過ぎにはジープ4台に分乗して植林活動現場への出動です。

農場からウルスンの集落を貫く道路は4車線分以上の道幅がありますが、舗装されているのは中央二車線分、それもほとんど手入れされていない状態。私たちが分乗したジープは外観は綺麗ですが、内装はあちこち鉄材がむき出しになって相当くたびれていますから、振動のたびにからだに打ち身ができるようなもの。幹線道路をしばらくいった後、横道にはいり、完全に砂地での走行となりました。道筋なることあるいは農地の区画境なのか2mぐらいの柱とそれを結ぶ針金で境界された柵が、進行方向を示しているように思われます。いくつかの砂丘を乗り越え、1時間あまりかけて植林予定地につきました。(写真3)

チョグチグー村に属するこの地は、家庭農場作り支援の一環として緑化モデル地区の創生に向け2006年から植林活動が始められたとのこと、日本からの参加者と地元住民との共同作業は今回で3回目、現地では地元住民が地下水くみ上げのためのポンプ機器、ポッドにはいった苗木やショベル・バケツなどの準備をして私たちを迎えてくれました。
見渡す限り青空と砂丘が織り成す水平線。持参したGPSによれば北緯42度56分、東経121度23分。日本に当てはめると緯度では札幌の南、経度では日本最西端の与那国島よりさらに西に相当します。海抜高度は300m前後.Nさんの温湿度計によれば、気温34度、湿度35%です。

写真1.井戸水

写真2.コンクリート製の円形の建物

写真3.植林予定地

 

4. 植林活動の実際
この地における緑化作業の概要を「FoE」が私たちに用意してくれた資料などから整理してみると、私たちの作業は「苗木を植える」と「草方格を作る」という二つになります。

「苗木を植える」作業とは、「苗木を列または碁盤目状に植えて強風を緩和させます。間隔を十分取り、木々の合間に草を育てます。草は表土、木は深土を改良し、樹種は、ポプラ・松・楡・アカシア・ニンキョウなど。地形に適した木を植えます」。
「草方格を作る」とは、「草方格は、草を格子状に植え込み、砂の流動を抑える手法。砂丘の中腹に作る」ことで、二日目、三日目にこの作業がありました。

ここでは第一日目のポッドに入った楡や松についての「苗木を植える」作業について記します。
あらかじめ設定された範囲に作業に必要な道具類や苗木を手分けして運びます。水は作業地にできるだけ近いところで掘られた井戸から発動機をつかってビニールパイプで送られ、バケツに分けられます。(写真4)植樹は、まず砂地にショベルで50pあまり掘り下げます。黄土高原の場合と異なり砂地であるため掘りやすいのですが、崩れ落ちるのもあっという間です。表面は乾いた砂ですが、中の砂は湿り気を含んでおり、苗木を植える際には、湿った砂をうまくもどす配慮が求められます。ついで用意した苗木ポッドから苗木を抜き取り、掘り下げた穴におき湿った砂をもどしてやり水を注ぎ込みます。最後に周りを踏み固め、あわせて木の周りの砂をドーナツ状に盛り上げます。これは雨が降った場合、苗木の周りに雨水が集まるようにとの工夫です。内陸部の場合、土中の水分の蒸散を少なくするためポリシートを円形にはった中に苗木を植え込むという方式をとっていますが、ここでは保水の問題もさることながら、砂地の移動の問題が大きいように感じました。ですからもうひとつの作業、草方格づくりの意義があるものと思われます。

この土地は2006年から植樹作業に入ったとのことですが、リーダーの成田さんによれば昨年植えたという松の半分近くが枯れているとの見解、それをもとに枯れ死した部分に五角かえで(モミジ)など別の種を植えてみるとのこと。これまで経験してきた内陸部での植林活動にくらべ、樹種の選定に多様性を持たせていることを感じました。

二時間あまりの午前の作業の後は、ジープで20分あまり移動して村長さんの家での昼食です。作業をともにした村人、そして同居の犬も食事のおこぼれにあずかるというのは、甘粛省や陝西省の農家での経験と同じです。食事の献立、味付けなどについては、項を改めて取り上げたいテーマです。村長さん宅での昼食時で気づいたことのもうひとつは祀りに関することです。この家でも居間の最も目立つ辺りに聖者を描いた聖画が飾られています。そこに描かれている人物が極めて具象的なので家人に尋ねてみると、チンギス・ハーンとのこと。(写真5)中国であっても、モンゴル族の世界なることを再認識させられました。

昼食後、村人の馬に乗せてもらい、ちょっとした乗馬気分を味わうことができましたが、私たちにとっての乗馬とモンゴル族の村人にとっての乗馬は意味するところは大きく異なるものなのでしょう。

午後は、「FoE」が支援している現地の人による緑化活動の対象となっている家庭農牧場の一軒を訪ね、家人への聞き取りと農場の見学をしました。FoEの植林地よりも気のせいか、丁寧に管理されている様子がみてとれます。しかしながら、じっくりみ続けるうち、成長途上の若木の樹皮の部分がはがされている木々をあちこちに見ることになりました。 (写真6)それほど遠くないところに馬が数頭餌を食んでいる様子を遠望できます。聞けば隣村の住人が放牧している馬とのこと、広大な土地を柵で囲って植林を行っても、植樹間もない若木の樹皮を餌にすることをわかっていても家畜を放つ農民がいるのも現実です。法律をきちんと適用することだ…という参加者の声も聞こえましたが…。

砂地の中の植林家庭農牧場の見学を終え、宿舎への帰り道、私たちを乗せたジープはまず砂丘越えのトライアル、幹線道路に出てからは乗っている私たちが以下にクルマの動きに合わせて衝撃を少なくするか、クルマも人もこの地にあわせた対応が求められます。烏雲農場のあるウルスンにもどり、立ち寄った店で同行のKさんがふるまってくれたアイスバーの冷たさがひときわ引き立った一日でした。

*「FoE:Friends of the Earth」は以前「地球の友」と称していた国際協力NGO   http://www.foejapan.org/
烏雲農場については「沙漠植林ボランティア協会」  http://sashoku.org/index.html

写真4.植樹

写真5.中国であっても、モンゴル族の世界

写真6.成長途上の若木の樹皮の部分がはがされている木々

 

<レポート 7>

5. 続植林活動の実際〜草方格を作る
前回、内蒙古自治区の南東部ウルスン周辺、烏雲農場において、FoEがとっている砂漠化防止のための植林活動を、「苗木を植える」ことと「草方格を作る」ことの二つあること、そして「苗木を植える」ことの具体的な作業について記しました。

以前にも記したことですが、内陸部の陝西省西安北部や甘粛省蘭州周辺の黄土高原における植林対象地は、地形に起伏があり、土は固く、地下水位は内蒙古地区に比し問題にならないほど低いことが共通し、内蒙古地区南東部よりはるかに厳しい環境にあります。一方、今回の植林対象地は、中国東北平原の縁辺部であり、場所による差異はあっても地下水が比較的容易に得られ、農牧業が行われている地帯であるという特徴があります。東北平原とそれに連なる草原地帯とされてきた地域で農牧業を営んできた人々の居住域が砂漠化に直面しているのです。そのような砂漠化が飛砂や砂丘の移動として捉えられるなら、そうした飛砂や砂の移動を制御するすべが求められます。幹線道路沿いの並木道や農地や家屋を取り囲む樹林(日本なら屋敷森とよばれるようなもの)の配置など配慮されているように見えます。

飛砂や砂丘の移動を防ぐ手段としての草方格のアイディアの具体化は、この地における植林活動の先達者で烏雲農場の主、菊地さんによるところが大きいようです。沙漠植林ボランティア協会のホームページの記載などによりますと、草方格の考え方は、菊池さんが内陸部を旅された1991年、乗り合わせた鉄道沿線における流砂の防止手段にヒントを得たとのこと。

私たちは植林活動の第1日目、第2日目にこの草方格作りを経験しました。(写真)手順は、まず、広大な砂地の広がりのある範囲に、軸になる基準線を設定、そこから2m余りの方眼になるよう、スコップなどで枠になる線を記し付けます。ついで、あらかじめ用意しておいたわら束を枠になる線上にならべ、わら束を上からスコップで砂中に押し込みます。ついで押し込まれた部分に草の種をまき、その上に水をかけてやりおしまいです。

 

1. 草方格の範囲設定と方眼作り

 

2. 草方格線上にわらをならべ、草の種を植え込む


 

3. 根付いた草方格と新たな植樹

リーダーの成田さんによれば、起伏のある斜面の場合、その設定が難しいとのことでしたが、これまで設定された部分の多くは、たしかに砂地が固定されているように見えました。草方格によって砂丘の移動が防がれ、かつ草地が復活したら、その後に植林という手順をふむことになるわけで、菊池さんは草方格から樹方格という防風林帯の構想を展開されているようですが、これについては聞き漏らしました。

6. 内蒙古自治区における砂漠化を推し進めた要因
烏雲農場の菊地さんは、この地区における砂漠化の進行の要因として、人口増加を指摘してくれました。
チョグチグ村の村長さん宅における懇談の際だったと思いますが、おじいさんの時代から村の人口は3倍になったとのこと。多民族共生の地として先駆けた内蒙古自治区が成立した頃、この地でも定住化が始まっていたとすれば、草原から農耕地への転換はそのころからと想像できます。

菊地さんの説にもとづけば漠化の進行は、[人口増加→定住化と農耕地の拡大→草原の減少→砂漠化の進行]と図式化できそうです。とすると、この地の人口増加は、多民族共生を目指した自治区、つまり新中国の成立期あたり定住化の進行とあわせて進んだと考えられます。この時期におけるモンゴル族と漢人との関係について気になりますが、内蒙古地区の砂漠化の要因について記した「中国の環境政策 生態移民〜緑の大地、内モンゴルの砂漠化を防げるか」(注1)に次のような記述があります。
                                        ---------------------------------
・ 中国の発展を展望する上で、過去の歴史における農耕化と移民問題を無視することはできない。 p.2
・ 「移民」という語が最初に現れたのは、…『周礼』…動詞として、もし自国に食糧危機が発生した場合には特別措置として被災民を、よりましなところに移住させるという意味で使われていた。p.4
・ 明朝が成立した1368年から1850年ごろまで…農民たちは山岳地帯へ開拓の道を歩み始め、その歩調を速めたのはいも、とうもろこし、らっかせい、じゃがいもなど…山岳地域に適した新種作物であった。
・ 太平天国蜂起の始まった1851年から1950年代にかけて、移民たちは現在の東北三省、内モンゴル、西北各省、台湾などを目指すようになった。
・ 清朝はその既成事実を追認する形で、「盟旗制度」を実施していた内モンゴルの領域内部において「府」 「庁」「州」「県」といった、移民のための地方行政機構を設け、漢人移民の定住化が促された。 p.6
・ モンゴル高原南部に位置する囲場地域は、…樹木や河川そして野生動物に恵まれ、皇室が巻き狩りをする漁場であった。…清朝末の開墾後人口が急増、10年間で総人口が82%増加、1917年、8.9万人になった。
・ 共和国時代、毛沢東や共産党中央が、「辺境を切り開き、辺境を守る」というスローガンを掲げ、…新疆、 内モンゴル、黒竜江、雲南、広西など辺境地域に移住させ、そこに国営農場を2000余り建設させた。 「内モンゴルの人口は、1930年代の400万から1964年の1239万、1982年の1927万人に…50年間で5倍 に 増加した。」…辺境で推進してきた中央政府の基本政策も農耕優遇、牧畜冷遇だった。 p.9
・ 改革解放直後の1980年代初期、内モンゴル自治区にはいち早く、東部農耕地域で推進されていた請負制度が導入され、家畜と牧草地使用権は個人に配分されることになった。これによって本来区切りのない 草原において、人為的に鉄条網で各世帯の牧草地を分断する「草庫倫(ツオクルン)」という新しい牧草地利用方式が確立された。

私なりに解釈すると、内蒙古地区への漢人の移民は清朝以降、なかでもアヘン戦争以降賠償金の支払いのための開墾、それに伴っての地方行政機構の整備と漢人の定住化が進んだ。新中国成立後、「辺境を切り開き、辺境を守る」スローガンの下、辺境に対する「普遍化」は定住と農耕を意味し、牧草地は鉄条網で分断され、遊牧民の定住化が推し進められた。この地区の砂漠化は、モンゴル族の人口増加よりも漢人の移住による人口増加がきっかけでした。

漢人農民による定住化は草原を焼き払い農耕地に換え、モンゴル族はその農耕化と辺境に対する「普遍化」に巻き込まれていったのです。現在、中国政府が推し進める「退耕還林」「退牧還草」政策は、農耕民の発想なのかもしれません。そしてこうした発想は、この地で献身的な植林活動を進めてきた菊池さんの烏雲農場における実験水田に対する私たち緑林ボランティアの視点とも重なっているような気がしてならないのです。

(注1). 「中国西部辺境と『生態移民』」:小長谷有紀・シンジルト・中尾正義(2005)
            「中国の環境政策生態移民〜緑の大地、内モンゴルの砂漠化を防げるか」昭和堂
                                        ---------------------------------

2200メートルあまりの西寧から海抜数メートルの北京にはいりました。数回訪れた程度の街ですが、それでも三ツ星クラスホテルの一室でインターネットができ、周辺レストランの価格の高さから、スーパーマーケットで夕食を調達しようとしたら、東京で言えば紀伊国屋なみの高級スーパーマーケットで自分の好みに合った夕食を手に入れ、パソコンを見ながら紹興酒を口にする、部屋のテレビはNHKの国際放送。そんなことになんとなくほっとしている自分。
今回たずねたチベットからグループと別れ、海抜5000メートルを鉄道で超えて入った青海省、そしてこれまで植林で尋ねた甘粛省や陝西省、内蒙古自治区には常に緊張感があったのに…。不思議なものです。所詮怠惰なほうが心地よいですね。明日は、北京へのおのぼりさんとしてオリンピックグッズでも探しに、王府井にでもいきましょう。 

インターネット環境と情報
今回の旅先でので気づいたことを記します。チベットのラサでは、二ヶ所のホテルを利用しました。二ヶ所とも持参のパソコンは使えません。最初のホテルはドミトリーが中心で外国人旅行者がほぼ大部分といったホテルで、インターネットカフェが付随しており、そこのカフェでは、ウェブメールを読むことはできますが、きわめて時間がかかり、返信はローマ字でしかできず、(機種によってはひらがな入力もできるようですが)、メールの作成をする気にならない環境でした。二つ目のホテルは部屋にパソコンが備え付けられ、インターネットは自由に使えるという願ってもない環境でしたが、中国電子台がスポンサーということらしく、まったくひらがな入力ができず、かつグーグルなどの日本語配信ニュースなどをみようとすると、その多くがブロックされてしまいます。言い換えれば、見たい情報にたどり着くことができないということです。

ラサでは、15あまりのNGOが活動しており、その関係者との会合で交わされたことどもから感じたことは、チベットにおいての情報は統制下にあるといって差し支えない状況にあるということでした。メールの返信が日本字でできないというのも、そうした感じを裏付けるものでありました。
ラサでの滞在中、グループのメンバーの一人が、インターネットカフェでメールをしようとしたら、画面にパスポートbフ入力を求められ、手元にパスポートがなかったため、送信をあきらめたという話しをしてくれました。

西寧のホテルは三ツ星で、持参のパソコンが使え、ようやく情報統制から解放された感じを受けました。それでも、見たい情報にアクセスすると時間がかかり、そのうちタイムアウトになってしまうのはチベットに近い状況。この町はチベット文化への入り口のような記述がガイドブックには記されていますが、確かに30キロほど離れたところにチベット寺院とチベット人の集落があり、観光施設のようになっています。しかし圧倒的に漢民族の世界で、チベット文化は観光施設、むしろイスラムの影響を食事やイスラム寺院に見ることができます。

そして北京のホテル。インターネット環境は日本と変わらず、規制されているという感じは、今のところありません。NGO活動のみならず、インターネットによる情報も、この国では周辺ほどインフラの少なさのみならず、かつ規制がかかっているという感じを強くしています。ラサ、西寧、北京の三都市におけるインターネット環境について、情報産業にかかわる息子に話したところ、業界ではグレート・チャイナ・ウォールという(ジーパンのブランドにもあるようですが)用語で知られていることだそうです。

厳しい高地から肥沃な大海へ国境をを超え広がる河川
海抜3600メートルあまりのラサ周辺を流れる河川は、インド洋につながっています。西蔵鉄道でチベット自治区から青海省にはいり5000メートルあまりの峠を越える辺りで、列車の進行左側にタングラ山が見えることの車内アナウンスがありました。かつて全地研の会報にメコン川の源流のことを記した記憶がよみがえりました。この峠が南アジア、東南アジアとの分水界をなしているのです。これより北側の河川は太平洋側にその河口を持つのです。チベット自治区は分水嶺をこえたところにある中国ということを実感したたびでした。

今回のラサから西寧への鉄道での移動で(利用した鉄道の終着駅は蘭州で、以前、蘭州から北京まで利用したことがあるので蘭州まで乗りたい気持ちもあったのですが)、興味深かったことのひとつは、ブラマプトラ、イラワジ、メコン、長江、黄河など南アジア、東南アジア、東アジアを地勢上分かつ源流周辺を車窓から見ることができたことです。ヤクが草を食むばかりの300〜4000mの草原をメアンダーしながら勝手気ままに流れる濁流が、ひとつはベンガル湾に、ひとつはインドシナ半島へ、そして東シナ海、黄海へと流域の人々の暮らしに大きな影響を及ぼしてきた、その分水界を目の当たりにできたことが私にとって大きな収穫でした。

---------------------------------
私たちグループのガイドを担当したチベット人のNさんは、そのふしぶしにアンチ中国をにじませてのガイドをします。ホテルレストランでの現地NGOメンバーとの懇談で、先のチベット人ガイドの言動について意見を聞こうとしたところ、スタディツアーの企画者であるNPO法人2050代表、北谷さんから、このような場で議論するにはふさわしいテーマではないとやんわりとたしなめられました。

ラサを去る日、現地でのスケジュールをアレンジしてくれた、現地NGOメンバーとの夕食会では、会場には私たちだけということもあって、政治的なことに類するような言動、行動などへの規制を意味する誓約書への署名が、団体および個人に求められること。また、別の日、同行の国立大学農学部の先生の誘いで、アデレード大学からこの地の農業事情を調べているという研究者と昼食をともにしたとき、この地の気象データや地形図の入手が難しく、ヨーロッパから入手していることなど研究にも障害のあることを知りました。

ラサといえばポタラ宮殿、が私たちのイメージですよね。でも、現地で目の当たりにして気づいたことですが、宮殿の前面に道を挟んで、人民広場と記念碑、その奥が西蔵自治区人民政府の建物があります。このポタラ宮殿と人民政府を結ぶあたりを境に東側にチベット人街、西側に中国人街と大まかに分けることができるようです。西蔵鉄道の開通もあってでしょうか、中国人街は建設ラッシュです。

それでもうひとつ現地NGOとの懇談で出たことを思い出しました。このNGOは農民支援のためにマイクロ・クレジットを行っているのですが、中国農業銀行が同じ利率で、融資を開始したとのことです。現地NGOは自分たちのサジェスチョンが生かされたことと評価しましたが、ここに進出してくる中国人にとっても同じ、融資条件が適用されるわけですから、才長けた中国人の進出を促すものになるのではないでしょうか。

人民広場を定期的に行進する人民軍衛兵のすがたは、西蔵自治区と青海省をわかつタングラ山(ここにメコンの源流があります)をこえての南側への中国の想いであり、西蔵鉄道もその想いが形をなしたものと見るのは考えすぎでしょうか。

(参考情報)
マイクロ・クレジット
失業者や十分な資金のない起業家、または貧困状態にあり融資可能ではない(銀行からの融資を受けられない)人々を対象とする非常に小額の融資である。これらの人々は担保となるものや安定的な雇用、検証可能な信用情報を持たず、通常のクレジットを利用するための最低条件にさえ達しない。マイクロクレジットは貧しい人々への金融サービスであるマイクロファイナンスの一種である。マイクロファイナンスには貸し付け以外にも、貯蓄や少額保険などの画期的な金融サービス。
・国連は2005年を「国際マイクロ・クレジット年(International Year of Microcredit, 2005)」とすることを決定して、開発途上国の貧困撲滅と自立を支援。
  国連広報センター http://www.unic.or.jp/new/pr04-032.htm
・ノーベル平和賞受賞者ユヌス氏が編み出したグラミン銀行は事業を展開が有名。
   「Grameen - Banking for the poor」  http://www.grameen-info.org/
・JICA-国際協力 2005年1月号 特集◎マイクロファイナンス 弱者を支える融資 マイクロファイナンスの仕組み
    http://www.jica.go.jp/jicapark/kokusai/0501/02.html
西蔵--人民網日文版 http://j.peopledaily.com.cn/Province/Tibet.html

<レポート 8>

10月下旬、三度目の甘粛省での植林活動に参加してきました。省都蘭州の大気汚染、昨年の植林地検証、政府機関および中国NGO、地域住民の参列を得ての現地式典(なんと日本大使館からの参列もあった)や地元小学校、地域住民の参加をえての大規模な植樹作業、そのあとの宴席…と、「2050」による植林活動の特徴は、いつもながら多様なシーンを提供してくれます。今回は、以前にもふれた蘭州の大気汚染と前回の植林地検証について報告します。

1.蘭州の大気汚染
北京から2時間半、蘭州市街地の北、約70キロにある中川機場に着いたのが20日、17:30。日本の明石との経度差が約30度ありますから日本時間でいえば18:30、海抜1600m余の乾いた空気のもと西からの陽射しが空港の建物にはねかえっています。2050の中国側パートナー「中国人口福利基金」関係者の出迎えをうけ市街地の宿舎に向かいました。空港から市街地への高速道路の両側は、比高100〜200mぐらいの山並みが続き、斜面のほとんどが畝状に切られ植林または予定されていることがわかります。

去年と違うところは、あちこちにスプリンクラーによる散水が目立つことです。前方に、谷あいを東流する黄河にかかる橋と高層ビルの市街地が浮かび上がってきたのは、陽が山の端に沈むころ。人口300万といわれる市街地は東西方向の黄河の谷あいに30キロ余広がるといわれます。市街地に入ったとたん、渋滞に巻き込まれ排気ガスに加え、石炭を燃やしたときの煙のにおいが車内に入り込んできます。中国人口福利基金による手配と思われる中心部の4星ホテルのまわりは、ぼうっと大気がかすんで見えます。植林を後にして再び蘭州に戻ることになりますが、これまでを含め一日もすんだ大気の蘭州に出会っていないことを再確認することになりました。ちなみにこの原稿を記しながら、甘粛省環境保全局のサイト「城市空気質量週報発布」を覗いてみると11/30〜12/06間の蘭州の汚染指数は154、V級軽度汚染(北京の大気汚染については12月11日「軽微汚染」)とのことです。

2. 植林地の検証
10月21日、昨年の植林地の検証をしました。市街地から北へ100km弱、海抜1900m余の蘭州市永登県にあります。集落にほどちかい比高100〜200m前後の山地斜面で、谷あいの部分には、かつて耕地として利用されたと思われる棚田のような地形が見られます。この周囲の山地斜面に幅1m弱の棚状のテラスが切られ、そこにビニールシートで覆われた植樹のための魚鱗溝(魚のうろこの形)とよばれる部分に、サジー(沙棘)とよばれるグズベリーに似た果実をつける潅木の苗木の植え付けを行いました。

検証は植林地の一部に限られましたが、苗木が活着していると思われるのは1〜2割といったところ、土中の水分を逃さないための鱗型のビニールカバーだけが日差しを照り返していました。この様子は、今回はじめて参加した日本からの若者たちにも少なからずの衝撃だったようです。現地で植林を差配しているSさん(我々そして日本の石油会社、中国人口福利基金などから資金支援を受けています)にとっても、きわめて深刻な状況であるに違いありません。村人の話によれば、今年の夏はまったくといっていいほど雨がなかったとのこと。私たちが訪ねたこの日は、植林したあとを含め周囲の土は湿っていましたが、数日前に久しぶりに降った雨の名残とのこと。

北京で入手した中国の自然地理を主題図にまとめた「中国自然地理図集」(日本でこれほどまとまったものは多分ありません)によれば、甘粛省周辺における年降水量は蘭州あたりを境として南側が400〜750o、北側は300o〜400oと分けられ、永登県での植林は砂漠気候に区分される環境なのです。野生の沙棘が周囲の山々に見つけることができることからして、水の問題だけではないようにも思われますが…。砂漠化してしまった土地に緑を取り戻すことの難しさを痛感しました。甘粛省や内モンゴル自治区における乾燥化に伴っての住民移転問題を記した「中国の環境政策 生態移民」(小長谷有紀ほか編、2005昭和堂)によれば、河西回廊沿いの祁連山脈周辺では、毛沢東による大躍進の時代から80年代にかけて大規模な森林伐採と耕地化が行われたことが記されています。

ツリーニュース22〜23号においてチベット自治区における鉄道建設やラサの漢人居住区開発、教育分野における中国語学習にチベットにおける中国化政策の進展を記しました。甘粛省の場合は、毛沢東の時代に漢民族による森林伐採と耕地化をセットとした植民活動が進展、そのことが牧民の生活様式を変えるとともに、あわせて砂漠化を促進した可能性を示唆するものです。

2000年にはじまった内陸地方を対象とした「西部大開発」は、「生態保護」を政策の大きな柱にすえ、「封山育林」「退牧還林」「退耕還林」というスローガンに具体化されるわけですが、そのことは内陸地方で牧畜生活を営んできた少数民族が漢民族の生活様式への同化を意味するだろうことに留意しなくてはなりません。言い換えれば、砂漠緑化への寄与をめざす私たちの植林ボランティア活動は、少数民族の生活様式を抹消することに寄与している疑いがあるのです。